2018/11/28
「ゲームばかりしているんです」この言葉は不登校やひきこもりの方のご家族からよく聞きます。ゲームは害なのでしょうか?
ゲームは害ではない
頭からゲームを害だと決めつけていると見えてこないものがあります。不登校の生徒の特に男子の半数はゲームをきっかけに不登校を解消しています。
1.サッカーなら良いか?
「子どもがサッカーに夢中になって、日が暮れるまで帰ってこないんです。なので、これからは1日30分までと制限をつけようかなと思っています」
そんな話はあまり聞きません。でも一方で
「子どもがゲームに夢中になって、夜中やっているんです。なので、これからは1日30分までと制限をつけようかなと思っています」
という話題はよく耳にします。
私たち昭和生まれの親は人生の途中でITやゲーム(ファミコン)がでてきた世代です。サッカーは身体を動かすし、健全だし、人間関係を覚える場でもある。のようなイメージがあります。一方でゲームは身体を動かさないし、不健全だ。と考える人が多いようです。
でも、実際には今の小中高校生にとって、ゲームはコミュニケーションツールです。人間関係を覚える場ですし、日本中の人がスマホをしょっちゅういじっている社会においては不健全ともいえません。(不健全というなら歩きスマホの大人をゼロにする方が先です)
ゲームをコミュニケーションツールとして考えたとき
- このゲームを手に入れてあのグループに入りたい
- もっと上手になって、上手な人とプレイしたい
- いい勝負をしたときには本当に楽しい
そんな関わりだけでなく
- 慣れていない人をサポートしたい
- 今日は初心者に合わせよう
- 初参加の人が喜んでくれてよかった
- 戦略がないと勝てないことがわかった
そんな話にもなってきます。
ゲームという単語を上の文章を読んだら、サッカーとそれほど変わらないことがわかります。一番違うのは「同じように友達とコミュニケーションをしている」のに肯定されるか否定されるかです。
2.投影
ゲームであっても人の価値観が投影されます。大技をぶつけるのが好きな人。後方支援が好きな人。可愛いキャラクターが好きな人。それによって、その人のベースとなる価値観が大分見えてきます。
僧侶や白魔導師が好きな人は医療福祉系に適性があることが多いのです。
同じサバイバルゲームをしていてもどんどん攻撃を仕掛ける人や隠れている人、サポートをする人、仲間との関係を楽しむ人、コスプレを楽しむ人とさまざまです。そして、その傾向はそんなにコロコロ変わりません攻撃好きな人は毎回その戦略を選びます。
ゲームを自由にする中で価値観から進路、将来までが見えてきます。
3.仮想社会
最近のゲームはゲームの中に仮想の社会があります。人がつながり、協力し合い、競争してゲームを盛り上げます。それはTwitterやInstagramなどで人とつながっていくことと非常によく似ています。多くの昭和の人たちはリアルの世界があっての仮想世界だと思っていますが、現実はそうではありません。
Twitterのフォロワー数が10000人いる学生はそれだけで資産を持っています。
テーマがゲームであってもです。最先端の感覚を持っている企業はこの子のメディア力、発信力を高く評価します。採用すれば、10000人に影響を及ぼせる社員が手に入るのです。
しかし、新しい感覚についていけない学校などは「校則違反」といってアカウントを削除させたりします。在校生から一流のスポーツ選手が出たら喜ぶのにTwitter上の人気者が出ても受け入れられないのは学校側が古いからです。そして、資産価値があるものを平気で禁止します。もちろんTwitterの中には問題がある部分もあります。犯罪に使われることもあります。でも、犯罪に電話が使われるから電話を禁止したり、犯罪に言葉が使われるから言葉を禁止したりはしないのと同じで、Twitterに良いも悪いもありません。昭和の人たちが仮想社会についていけないから「全部が悪い」のようなことを言いたがりますが、「Twitterのこの類のやり取りは危ない」「このハッシュタグは危険」というのが正解に近い解釈です。
4.不登校の裏で起きていること
学校を中心に考えたら「不登校」という言葉になりますが、子どもたちが気づいて、違和感を感じているテーマは間違っていません。むしろ、昭和の価値観に凝り固まった人たちが見えないポイントを彼らは見ています。
不登校をマイナスと捉えるのではなく、彼らが気づいたこと、ぶつかったことを理解することで社会をよりよくすることができるだけでなく、彼らを戦力とすることができます。これに気づいた保護者は彼らの強みに目を向けます。気づかない保護者はいつまでも「ダメな子」扱いをします。助けてあげないといけない。と考える時点で「ダメ」と言っているようなものです。これで子どもの将来が大きく変わります。このポイントの違いだけでも多くの保護者に知ってほしいと考えています。
5.学校ではない学校の必要性
昭和生まれの人は簡単に考え方を変えることができません。経済活動に精通している人ほどBitcoinの概念が理解できないと言います。ひとつの公式を信じてしまった人が違う観点を持つことは難しいものです。大人ひとりひとりがそこまで固いとしたら、学校という大きな流れがそう簡単に変わるはずはありません。
私は学校という枠を超えた学校が必要だと思っています。
幸い私のような枠を超えた人にも校長先生という役割を与えてくれる学校がありました。これからの社会は子どもを中心に考え、彼らが純粋にとらえた社会の形、価値観の延長上に未来を描くことが大事になってきます。昭和の人が作り上げた「公務員」「教師」「弁護士」「タレント」・・・という枠組みに子どもを当てはめるのがナンセンスなのです。
もし、お子さんが「学校に行きたくない」と言いはじめて、その意図が理解できないときには是非私に会いに来てください。学校ではない学校に通いたがっているのかもしれません!